日本のロックバンドGLAYが1994年のメジャーデビューから2025年現在まで、どのように音楽シーンを駆け抜けてきたのか、そしてその背景にあるIT技術や音楽・映像技術、さらには社会の変化とどう関わってきたのでしょうか?
GLAY、JPOPとともに振り返る近代史として、懐かしみながら、若い人には「へえ」と思っていただきながら楽しんでください。
GLAYファンの方はもちろん、当時を知らないファンの方にも楽しんでいただけるよう、懐かしの豆知識や時代背景も交えてお届けしますね!それでは時代を追って見ていきましょう。
1990年代:CD黄金期とGLAY旋風
GLAYは1994年、当時主流だったCDでメジャーデビューを果たしました。1stシングル『RAIN』やアルバム『灰とダイヤモンド』を発表。ちなみに90年代はまだカセットテープでシングルを発売する歌手もいました。
1994年には日本全国のレコード店にCDがずらりと並ぶ光景が一般的で、カセットテープからデジタル音源への移行期でもありました。

1995年には「Yes, Summerdays」がカメリアダイヤモンドのCMソングに起用されるなど知名度が上昇。当時、カメリアダイヤモンドのCM曲になればヒットするという図式があり、メンバーもカメリアダイヤモンドのCM決定を喜んだといいます。そして1996年には、3rdアルバム『BELOVED』が152万枚を売り上げ、初のミリオンセラーを達成します。
BELOVEDが売れた理由をTAKUROは個人的にこう分析しています。
「これは個人的な分析だけど、その頃にミスチルが一回活動を休むんです。そこでBELOVEDがポンと出た。ある意味で世間が”ミスチルの代わり”みたいな形で受け入れてくてたんじゃないかって」
GUITAR MAGAGINE TAKURO GLAY
当時は小室哲哉プロデュース作品などもヒットし、「CDバブル期」と呼ばれる音楽ソフトの売上最高潮の時代でした。GLAYもこの波に乗り、音楽シーンの最前線に躍り出たのです。
1997年、GLAYの歴史に残る大記録が生まれます。『口唇』、『HOWEVER』の大ヒットからすかさずリリースされた初のベストアルバム『REVIEW -BEST OF GLAY-』が当時の歴代最高となる初週200万枚以上を売り上げ、累計約487万枚という驚異的な数字を記録。
日本の歴代アルバム売上2位となり、GLAY現象と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
友達同士でCDを貸し借りしたり、レンタルCDで借りてカセットにダビングしたり…なんてことも日常茶飯事。今では信じられないかもしれませんが、この頃は日本中がCDを買いに走っていました。
またこの頃はインターネット普及前。携帯電話の普及率も30%という時代でした。
ライブチケット争奪戦は電話。公衆電話のほうがつながりやすい、携帯電話のほうがつながりやすいなどの都市伝説が出回りました。ちなみに当時長野オリンピックのために世界中の新聞記者が日本にきていましたが、GLAYのライブチケット販売のために電話回線がパンクし、本国へ電話連絡ができないという社会的なトラブルにもなりました。
今の若い世代の人は、インターネットがない中でどうやって遠征先のホテルを探したのか、電車の時間を調べたのか、疑問に思うかもしれませんね。ぜひご両親に聞いてみてください。
この頃は、MDプレーヤーの普及期でもあります。1998年にはGLAYの楽曲『誘惑』がTDKの「ミニディスクXA」シリーズのCMソングに起用され、メンバーたちもCMに出演。MDはソニーが開発した小型光ディスクで、当時最新の録音メディアでした。カセットテープより音質が良くて扱いやすいことから、特に若者に大ヒット。
「MDでお気に入りのGLAY MYベストを作ろう!」と多くのファンがMDコンポ、MDウォークマンに向かったものでした。

1999年7月31日、GLAYは日本の音楽史に残る偉業を成し遂げます。
幕張メッセ駐車場特設ステージで開催された『GLAY EXPO ’99 SURVIVAL』で、1公演20万人という単独アーティストライブとして世界記録を樹立したのです。
この巨大ライブでは、当時の最新技術が投入されました。複数の巨大スクリーンを設置し、広大な会場でも遠方からステージが見えるよう配慮。当時は今ほど高精細なスクリーンではありませんが、それでも最新鋭の映像機器です。
最新の音響システムにより、20万人という規模でも後ろまで音を届けることに成功しました。また、衛星中継やテレビでのニュース報道を通じ、全国に話題が拡散。
GLAYの地元・函館市からは栄誉賞も贈られるなど、バンドの活動が社会現象として認知されるきっかけとなりました。遠方から飛行機や夜行列車で駆けつけたファンも多く、帰りの深夜バスが各地に向けて出て行く…そんな光景も含めて伝説となりました。
2000年代:デジタル化の波と音楽業界の模索
2000年代に入ると、社会は携帯電話とインターネットの時代へ突入します。
この頃から徐々にIT技術が生活に浸透し、音楽の楽しみ方も変化し始めました。GLAYもデジタル技術を取り入れたり、逆に音楽業界全体の変化に直面したりします。 まず、1999年〜2000年頃から一般家庭に普及し始めたのがインターネットです。一般家庭でもパソコンを持つ人が増え、遅いながらも電話回線でネット接続していました。GLAYも公式ホームページが開設され、最新ニュースがネットでも見られるようになります。
また、1999年末にはGLAYがそれまでの活動をまとめた『Complete Works』というマルチメディアCD-ROMを発売しました。これはPlayStationで動くソフトで、MVやライブ映像、メンバーのコメントなどが詰まったファン垂涎の内容。音楽をCDで聴くだけでなく、データとして体験する先進的な試みでした。
まだYouTubeもない時代に、自宅のPCやゲーム機でGLAYの映像を見られるなんて画期的ですよね。

一方で音楽業界では、「CDが売れすぎて困る」時代が終わりの兆しを見せ始めます。1999年を境に、日本のCD売上は毎年下がり続けていきました。
GLAYも2000年以降徐々にCDセールスが落ち着いてきます。例えば2002年発売のシングル「Way of Difference」は約70万枚のヒットでしたが、90年代のミリオン連発と比べると慎重な数字です。それでも当時としては大ヒットですが、業界全体が「CDが前ほど売れないぞ?」とざわつき始めた時期でした。
そんな中、各社が打ち出した対策の一つがコピーコントロールCDです。CDをパソコンで読み込んでMP3にコピーする行為が広まってきたので、それを技術的に防ごうとしたのです。
GLAYも例外ではなく、2003年にリリースしたシングル「BEAUTIFUL DREAMER/STREET LIFE」でこのコピーコントロールCDを採用しました。しかし、これが思わぬ反発を招きます。「音質が悪い」「パソコンで再生できない」といった不満がファンから噴出し、GLAYの元にも苦情が寄せられました。プロデューサーの故 佐久間正英さん自身も聴き比べて「音が劣化している」と気づき、以降GLAYでは使わないと表明したほどです。
実際GLAYでコピーコントロールCDになったのはこの1枚だけ。業界的にもトラブル続出で2004年頃には撤退しました。デジタル化への過渡期ならではの試行錯誤ですよね。
2001年、auからGLAY監修の携帯電話「GLAY PHONE」が発売。メンバーがCMに出演し、GLAY専用の着信音や待受画像が搭載された端末は、ファンから熱狂的な支持を集めました。
2002年にはauが着信音サービス「着うた」を開始。GLAYのヒット曲「Way of Difference」なども配信され、ファンは携帯電話でGLAYのサビを聴く体験を楽しみました。
さらにこの時期、GLAYは「GLAY LIFEカード」というクレジットカードやモバイル向け公式サイトも立ち上げます。これらはいずれも、インターネットの普及と共に音楽ビジネスがデジタル化していく過程での先進的な取り組みでした。
2003年には「いつか」をDVDシングルとしてリリースするなど、新しいデジタルフォーマットへの挑戦も行いました。音楽産業が過渡期を迎える中、GLAYは常に新たな技術を積極的に取り入れる姿勢を示していたのです。
2004年には大阪のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)で野外ライブGLAY EXPO 2004を開催しました。テーマパークと音楽ライブのコラボで、遊園地の一角に特設ステージを組み10万人を動員するという一大イベントでした。
ちょうどUSJ開園3周年を記念したタイアップでもあり、ファンは昼はパークで遊んで夜はGLAYライブという贅沢な体験ができました。
一方で2005年頃まで来ると、いよいよCDの売上低迷が顕著になってきます。GLAYも例にもれず、かつてはミリオンだったアルバムが数十万枚規模になり、シングルも初動が減っていきました。ただ、これはGLAYだけではなく音楽業界全体の傾向でした。
原因はいろいろあります。レンタルCDや中古CDが普及して新品が売れない、違法にネットでMP3が出回る、他の娯楽が台頭して音楽への消費が分散したなど。寂しい話ですが、このCD不況に各アーティストが直面していくのです。
GLAYはどうしたかというと、ライブや別の形態でファンに届ける工夫を始めます。例えば2003年にはDVDシングルを発売したり。
2005年前後からMVやライブ映像を付けるCD+DVDのセットを積極的にリリースしたりしました。ファンもお気付きかもしれませんが、2000年代中盤はどのアーティストも「初回盤にはDVD付き!」みたいなのが増えました。
あれはCDだけでは売れにくくなったので付加価値を付けた戦略です。記憶に新しいところではCDプレイヤー付きベストアルバムDRIVEは3万円でした。

2010年代前半:独立とソーシャル時代の幕開け
2010年代に入ると、YouTubeにGLAYの公式MVが一部公開され始めました。当時、日本のレコード会社はYouTubeへの公式動画公開に慎重でしたが、GLAYは2010年には公式チャンネルを立ち上げ、過去のMVやライブ映像を配信しています。これは自主レーベルに移行する流れとも関係します。
時代背景としては、2000年代後半はスマートフォン前夜の時期です。まだほとんどの人は折りたたみのガラケーを使っていましたが、2008年にiPhoneが日本に上陸し、一部の先端ユーザーが使い始めていました。通信インフラも進化し、3G回線が当たり前に。音楽配信サービスもPC向け、携帯向けとも充実し、GLAYも未発表曲をいち早く配信で出すようになります。
2011年の東日本大震災の際には、TERUがTwitter上で弾き語り曲「Thank you for your love」をストリーミング配信。後日バンドで音源化して収益を全額寄付するなど、SNSを通じたリアルタイムの発信とファンとの共感が可能になりました。
2010年代後半:サブスク解禁と新たなファン層へのアプローチ
2010年には大きな転換点が訪れます。GLAYは長年在籍したレコード会社を離れ、自主レーベルを設立。翌年には公式通販サイト「G-DIRECT」を開設し、CDやグッズを直接ファンに届ける戦略へとシフトしました。
また、前述のとおり公式YouTubeチャンネルを開設し、iTunes限定曲のリリースも行うなど、デジタル時代に即した発信方法を積極的に採用。音楽ビジネスのモデルが変化する中、GLAYも自らの手でデジタル戦略を構築していったのです。

さらに、TwitterやFacebookといったSNSも2010年前後から本格的にアーティストの宣伝ツールになりました。TERUもこの頃にTwitterアカウントを開設し、ファンとの交流を始めます。東日本大震災の際には、自宅でアコースティックギターを抱えて歌う様子をTwitterで生配信し、それを元にチャリティー曲を制作するといった取り組みも行いました。
技術面ではスマートフォンがいよいよ普及期に入ります。iPhone3GS登場の2009年頃からじわじわとiPhoneやAndroidを持つ人が増え、2012〜2013年には「気づけば周りみんなスマホ」状態に。GLAYも公式アプリの構想を練り始め、この後2018年に実現しますが、その前段階としてモバイルファンクラブの充実を図ります。
ガラケー時代からあった「GLAY MOBILE」をスマホ対応させ、チケットの先行受付やメンバーのブログ、限定動画などを見られるよう進化させました。月額課金制のモバイルファンクラブは2000年代からありましたが、スマホになって格段にリッチなコンテンツが提供できるようになったのです。
そして2018年、GLAYは公式スマホアプリ「GLAY App」を公開します。月額課金制のアプリでは、限定コンテンツの配信やチケットの電子化を実現。ファンクラブと連携した新しい会員制度として注目を集めました。
その後、主要サブスクリプション音楽サービスでGLAY全453曲の配信を解禁。Spotify、Apple Music、Amazon Musicなどで、いつでもどこでもGLAYの楽曲が聴き放題になりました。これによって新世代のリスナーもGLAYの音楽に触れやすくなり、ファン層の拡大につながりました。
このころには、GLAYのライブ会場でのグッズ購入にクレジットカードや電子マネーが使えるようになるなど、キャッシュレス化も進行。紙のチケットも電子チケットに置き換わり、スマートフォン1台でライブ参加が完結する時代となりました。音楽体験のデジタル化・モバイル化がさらに加速した時期です。
また、ツアーグッズもライブ会場で並んで購入するものというそれまでの概念から、ライブ前に通販で購入して自宅に届くもの。そしてそれを身に着けてライブ二参戦するもの、に変わって行きましたね。グッズ会場のあの長蛇の列が懐かしいものです。
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により音楽業界は大きな打撃を受けます。GLAYも予定していたデビュー25周年ドームツアーが中止を余儀なくされました。
しかし、この危機をチャンスに変える取り組みも。函館山麓での野外無観客ライブをYouTubeで無料配信し、数十万人がオンラインで参加。WOWOWでの無観客ライブ生中継も実施し、同時に医療支援として1000万円の寄付を発表しました。コロナ禍では他にもオンライン会議ツールを使った企画や作曲が行われたようです。
2020年代:最新テクノロジーへの飽くなき探求とこれからのGLAY
2021年には、GLAYのライブをVR映像化して配信するサービスが開始。スマホ用VRアプリ「VRMODE」で、自宅にいながら臨場感ある180°立体映像でのライブ体験が可能になりました。専用のスマホアプリとVRゴーグルを使うと、まるで会場の最前列にいるかのような臨場感でライブが楽しめるようになりました。
同年には、今SNS世代で人気のYouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」にGLAYが登場しました。メンバー4人でピアノアレンジの「Winter, again」を一発録りする動画は公開直後から反響を呼び、普段GLAYを聴かない層からも「良い曲!」「さすがベテランの貫禄」「なつかしい」と賞賛コメントが寄せられました。

そして2024年、デビュー30周年を迎えたGLAYは、最新技術を駆使したライブパフォーマンスで観客を魅了しています。ドローン撮影、大型LEDビジョン、360°カメラ、5G高速通信など、テクノロジーとライブ体験の融合はさらに進化し続けています。
エンディング:変わるものと変わらないもの
ここまでGLAYの歩みと技術・社会の変化を見てきましたが、皆さんいかがでしたでしょうか。
振り返ってみると、GLAYというバンドは常に時代の空気と共にあったように感じます。
CDが売れに売れた90年代、GLAYは日本記録を打ち立てる大ヒットを飛ばしました。インターネットや携帯電話が普及した2000年代、GLAYはホームページや着うた、コラボ携帯で新たな挑戦をしました。CD不況や違法コピーの問題にも直面しつつ、ライブやDVDでファンを楽しませる工夫を凝らしました。
SNSやスマホが当たり前になった2010年代、GLAYは独立して自ら情報発信し、ファンとの距離を縮めました。そして激動の2020年代、コロナ禍すらもオンラインライブやVRという新境地で乗り越え、今なお第一線で輝いています。
技術や社会は目まぐるしく変化していきます。カセットテープからCDへ、CDから配信へ、リアルからバーチャルへと、音楽を取り巻く環境も様変わりしました。しかしGLAYの「いい音楽を届けたい」「ファンと心を通わせたい」という想いは一貫して変わらないように思います。
その時々の最新ツールを使いこなしながらも、根っこにあるものは同じだからこそ、どの時代のファンにも愛され続けているのでしょう。
これから先、もしかしたらVRを超える新技術や、新しい音楽体験の形が登場するかもしれません。
でもきっとGLAYは柔軟にそれを取り入れつつ、自分たちらしい音楽を奏でてくれることでしょう。
例えばメタバース空間でのライブや、AIとのコラボなんてことも将来あるかもしれませんね。
30年以上の歴史を振り返ると、GLAYと共に歩んできた技術・社会の変化が本当にたくさんありました。
当時をリアルタイムで知る方には懐かしく、若い世代には新鮮なエピソードもあったのではないでしょうか。
これからもGLAYの音楽が時代を超えて多くの人に届くことを願いつつ、本日の解説はここまでにしたいと思います。