四半世紀以上の時を経て、なお色褪せることのない楽曲がある。GLAYのpure soulは、まさにそんな永遠の名曲の一つだ。2025年、GLAYデビュー30周年を記念して発売されるベストアルバムDRIVEでは、ファン投票によって収録曲が決定されたが、その栄えある1位に輝いたのが、このpure soulである。HOWEVERや誘惑といった大ヒットシングルを抑えての1位獲得は、この曲がGLAYファンの心に深く刻まれていることの何よりの証だろう。

1998年7月29日にリリースされた4枚目のオリジナルアルバムpure soulに収録されたこの曲は、シングルカットこそされなかったものの、TAKUROの深い歌詞とバンドの洗練されたサウンドが融合した珠玉の名曲として、長年にわたりファンに愛され続けてきた。「賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む」というフレーズに象徴されるように、人生の重要な局面で多くの人の心に寄り添ってきたこの曲が、デビュー30周年という節目に最も愛される楽曲として選ばれたことは、単なる偶然ではないだろう。
また1998年には10代20代だった若者リスナーが、大人になり親になった時に初めて「親(あなた)の言葉も聴こえなくなるほど 遠くに来ました 幼い頃の子守歌を手に」が時限爆弾のような形でファンの心に響いた可能性もあるだろう。
本記事では、GLAYの代表曲として今なお輝き続けるpure soulについて、その誕生背景から歌詞の意味、ファンからの評価、そしてライブでの演奏状況まで、徹底的に解説していく。30年近くの時を経てもなお、最も愛されるGLAYの楽曲pure soulの魅力に迫る。
はじめに
1998年7月29日、GLAYの4枚目のオリジナルアルバムpure soulがリリースされた。このアルバムに収録された同名タイトル曲pure soulは、リリースから25年以上経った今でも色褪せることなく、むしろ時を経るごとに深みを増す名曲として多くのファンに愛され続けている。本記事では、GLAYの代表曲の一つであるpure soulについて、その誕生背景から歌詞の意味、ファンからの評価、そしてライブでの演奏状況まで、徹底的に解説していく。
曲の概要
pure soulは、TAKUROが作詞・作曲を手がけ、GLAYと故 佐久間正英氏が編曲を担当した楽曲である。1998年7月29日にリリースされた同名アルバムpure soulに収録され、シングルカットはされなかったものの、アルバム収録曲としては異例の人気を博した。
楽曲の特徴としては、ピアノとストリングスを効果的に用いたアレンジが挙げられる。それまでのGLAYの楽曲と比較すると、より洗練されたサウンドプロダクションが施されており、メジャーバンドとしての成熟を感じさせる仕上がりとなっている。
また穏やかな曲調とは一見馴染まなそうなHISASHIの刺々しいギターサウンドも特徴的である。特にBメロのピッキングハーモニクスを伴うチョーキングは、HISASHIの代名詞的な演奏だが、とてもよく合っている。
リリース時のGLAYの状況
pure soulがリリースされた1998年は、GLAYにとって黄金期と呼べる時期だった。前年の1997年には、ベストアルバム「REVIEW」が当時の日本レコード史上88万枚の売り上げを記録。HOWEVERや誘惑、SOUEといったシングルヒットも連発し、日本の音楽シーンを席巻していた。
1998年のGLAYは、4月から7月にかけて「GLAY TOUR ’98 pure soul」と題したホールツアーを開催。このツアーは全国60公演に及ぶ大規模なもので、チケットの電話予約では回線がパンクするほどの人気ぶりだった。さらに8月から9月にかけては「pure soul STADIUM “SUMMER of 98″」と題したスタジアムツアーも敢行している。
念の為GLAYをあまり知らない人向けに書くと、メンバー構成は、TERU(ボーカル)、TAKURO(ギター)、HISASHI(ギター)、JIRO(ベース)の4人。サポートメンバーとして、D.I.E.(キーボード)とTOSHI NAGAI(ドラム)が参加していた時期である。特筆すべきは、このアルバムリリース直後の9月12日に行われたファンクラブ限定ライブで、D.I.E.がサポートキーボディストを辞めることが発表されたことだ。バンドの転換期を迎えようとしていた時期でもあった。
歌詞の解説
pure soulの歌詞は、GLAYがメジャーデビュー後に経験した成功と葛藤を描いた作品である。TAKUROがニューヨークに滞在していた時期に書かれたとされるこの曲は、物質的な成功を収めながらも、何か満たされないものを感じる心情や、成功によって変わってしまった人間関係への葛藤が綴られている。実際、歌詞の冒頭では「何不自由のない暮らしだな だけど何か満たされぬ そんな夜もあるだろう」と、成功して豊かな生活を手に入れているはずなのに心にぽっかり穴が空く夜がある…という胸の内が綴られている。
歌詞の特徴的な構造として、サビ部分が3段階で展開していく点が挙げられる。一部ファンの間では「pure soulサビの三段活用」と呼ばれる(参考)この構造は、歌詞の視点が徐々に広がっていく効果を生み出している:
- 1番サビ:「共に見た数々の夢を追いかけ汗を流す仲間もいたな」(過去の仲間への思い)
- 2番サビ:「共に生きる家族 恋人よ 僕はうまく愛せているのだろうか」(現在の身近な人への視点)
- 大サビ:「今いる自分を支えてくれた人 この歌が聴こえてるだろうか?」(より広い視野での感謝)
象徴的な表現としては、「賽を振る」という人生の重大な決断の瞬間を表す比喩や、「夜明け」「高速道路」「子守唄」「あの日の空」といった言葉が効果的に用いられている。特に「賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む」というフレーズは、この曲の代名詞とも言える印象的な一節である。
作詞者であるTAKUROの当時の心情が色濃く反映されている点も重要である。1998年当時、TAKUROは20代後半であり、GLAYの爆発的な成功の中で、バンドと私生活のバランス、特に恋愛関係における葛藤を経験していたとされる。著書「胸懐」でも触れられているように、成功によって変わってしまった自分と、それに伴う人間関係の変化に悩んでいた時期であった。
ファンからの評価
pure soulは、リリース当初から現在に至るまで、GLAYファンの間で高い評価を受け続けている楽曲である。特に、歌詞の深さと普遍性が多くのファンの共感を呼び、時代を超えて愛される要因となっている。
ファンの間では「バイブルのような曲」「人生の岐路に立ったときに聴きたい曲」といった評価が多く、単なる音楽作品を超えた存在として捉えられている。特に、大サビの「今いる自分を支えてくれた人 この歌が聴こえてるだろうか?」という一節は、多くのファンの心に深く刻まれ、人生の節目に思い出される言葉となっている。
親(あなた)の言葉も聴こえなくなるほど
遠くに来ました幼い頃の子守歌を手に
この歌詞も、ファンの人生のステージが変わることで深みが増しているフレーズだ。
- この曲を初めて聴いたときには生きていた親がその後なくなった。この曲を聴くと親を思い出す。
- 当時は反抗期だったから、親に冷たい当たり方をしていた。この曲を聴くと親に感謝したくなる。
- 自分が親になり、親の目線で子ども愛する気持ちを確認できる。
など、様々な声がファンから聞こえてくる。
この時限爆弾が、長く愛され、昔以上に好きになる効果を生んだ。もしかしたら人気1位となった所以なのかもしれない。
ライブでの演奏について
pure soulは、GLAYのライブにおいて長年にわたって演奏されている定番曲の一つである。LiveFansのデータによると、この曲は1998年のリリース以降、163回以上のライブで演奏されており、GLAYのレパートリーの中で重要な位置を占めている。
時期別の演奏状況を見ると、1998-1999年のリリース直後はpure soulツアーで毎公演演奏され、1999年の東京ドーム公演(DOME TOUR “pure soul” 1999)でも重要な位置づけで演奏された。2000年代以降も、メインツアーやアリーナ公演で定期的に演奏され続け、2023年のHIGHCOMMUNICATIONS TOUR、2025年の最新ライブでも演奏されるなど、25年以上経過した現在も色褪せない人気を誇っている。
特筆すべき演奏としては、1999年の初の東京ドーム公演が挙げられる。この公演でのpure soulの演奏は「GLAY DOME TOUR “pure soul” 1999 LIVE IN BIG EGG」として映像化され、多くのファンの記憶に残る名演奏として語り継がれている。また、アニバーサリーライブでは、バンドの歴史を振り返る重要な曲として演奏されることが多く、特に20周年、25周年などの記念公演では、特別なアレンジで演奏されることもある。
演奏スタイルも時代とともに変化しており、初期は原曲に忠実なアレンジだったものが、徐々にライブアレンジが加えられるようになり、近年ではより成熟したTERUの歌唱表現で、歌詞の深みがより伝わる演奏になっている。時にはストリングスを加えた編成で演奏されることもあり、より壮大なアレンジも見られる。
ライブでのpure soul演奏時には、特に大サビの部分で、多くのファンが感動で涙する光景が見られる。ライブレポートやファンの証言によると、この曲は特に感情移入しやすく、ライブの感動的な瞬間を作り出す曲として定評がある。また2番のBメロの激しいHISASHIのバッキングは最近のライブバージョンならではである。
pure soulの遺産
pure soulは、単なるヒット曲を超えて、GLAYというバンドの本質を表現した楽曲として、日本の音楽史に残る名曲の一つと言えるだろう。リリースから四半世紀以上が経過した今でも、その魅力は色褪せることなく、むしろ時を経るごとに深みを増している。
この曲が持つ普遍的なメッセージ性は、世代を超えて共感を呼び、新たなファンを獲得し続けている。特に、成功や名声よりも人との繋がりや愛の大切さを問いかける内容で、現代においても強く響くものがある。
TAKUROが20代で書いたこの歌詞の深さと先見性は驚くべきものであり、彼の作詞家としての才能を如実に示している。pure soulは、GLAYの音楽的遺産の中でも特に重要な位置を占め、日本のロック史においても記憶に残る名曲として、これからも多くの人々の心に寄り添い続けるだろう。
まとめ
GLAYのpure soulは、1998年にリリースされた同名アルバムのタイトル曲として、バンドの黄金期を象徴する楽曲の一つとなった。TAKUROの深い歌詞と、バンドの洗練されたサウンドが融合したこの曲は、リリースから25年以上経った今でも多くのファンに愛され、ライブでも定番曲として演奏され続けている。
成功の中での葛藤や、人間関係の変化、そして本当に大切なものへの気づきを描いたこの曲は、単なる音楽作品を超えて、多くの人の人生に寄り添う存在となっている。人生の重要な局面で思い出される言葉を紡いだこの曲は、これからもGLAYのライブやファンの人生の節目で何度でも甦る魂のバラードであり続けるだろう。歌詞に込められたメッセージは色あせることなく、聴く者の心に純粋な火を灯し続けている。
GLAYが歩んできた栄光と葛藤の歴史、そのすべてが詰まったこの曲は、ファンにとって一生ものの宝物であり、時代を経れば経るほど輝くのかもしれない。。もし昔聴いていたが最近ご無沙汰だという方がいれば、ぜひじっくりと聴き返してみてください。当時とは違った感動や発見がきっとあると思う。