ぜひTwitterやFacebookで、多くのGLAYファンにシェアしていただければと思います。

わたし、実はEGGTOPというバンドのギタリストでした。

スポンサーリンク

ぜひTwitterやFacebookで、多くのGLAYファンにシェアしていただければと思います。

序章

叙情的な歌詞とメロディーライン、さらにジャンルに捉われない多彩なアレンジとコーラスワークを持つ。2009年には年間90本以上のツアーを敢行し、全国に活躍の場を広げている。

そんなEGGTOPというバンド、皆さんご存知でしょうか。

今回は小説風にEGGTOPを紹介したいと思います。
EGGTOPは私が大学卒業まで、人生をかけていたバンドでもあります。

最新アー写(2022)HPより http://eggtop.jp/

出会い

ギターボーカルの深野君(当時のあだ名:深ちゃん)とは中学一年からの仲で、大阪から引っ越してきて友達のいないわたしに、気さくに話しかけてくれた。
なんと第一声が「やっぱGLAYは誘惑よりSOUL LOVEだよな!今日ヒマだったらウチに来いよ。」であった。教室の後ろの壁に貼ってあった私の自己紹介カードの”好きな曲”の欄に、SOUL LOVEと書いてあったからだ。

その日の放課後、彼の家に行くと、彼が突然ギターを持ってきて、BELOVEDのイントロを弾き始めた。

私はビックリした!!

GLAYの曲なのに、、GLAYじゃない深ちゃんがGLAYの曲を弾いている。なぜこんなことが出来るのかわからない。許されるのか?そんなこと。でもわたしも弾きたくなって、「俺もギターやるわ!」そういって帰り、両親にギターがほしいことを告げた。

その週末、当時はアニメオタクの街でもメイドの街でもAKBの街でもない秋葉原に父と行き、一本のアコースティックギターを買ってもらった。

目次

  1. 中学のバンド時代
  2. EGGTOP
  3. 安東暁史の脱退
  4. その後

中学のバンド時代


それから月日は流れ、僕と深ちゃん、ベースの飯川君(あだ名:飯どん)、他のメンバーと一緒に主にGLAYをやるバンドを組んだ。
当時はBEAT & BEATというバンド名を名乗っていた覚えがあるが、あまりバンド名は定着しなかった。区民館のスタジオをレンタルするために便宜上必要なバンド名だったからだ。

それでも校内行事、たとえば文化祭のようなイベントや卒業生を送る会など、歌を歌うイベントでは毎回僕らのバンドがステージで演奏した。そして中学の卒業のとき、音楽室をライブハウスにして大規模な卒業ライブをやった。あれは、燃えた。そのころはあまりGLAYはやっておらず、Hi-STANDARDやBRAHMAN、GOING STEADY、175Rなどパンクな曲ばかりをやっていた。

卒業と同時にバンドは解散し、当時はやっていたBECKというマンガのワンシーンを冗談まじりで深ちゃんと再現した。

「俺は最強バンドをつくるぞ 」

「 俺もつくるよ」

EGGTOPへの加入


わたしは青山学院高等部でまたバンドを組み、飯どんと深ちゃんはそれぞれ別の高校でバンドを組んだ。月日は流れて高校2年で飯どんと深ちゃんが、深ちゃんの高校のドラマーと3人でバンドを組んだ。それがEGGTOPである。(当時はEGG TOPで後にEGGTOPとなるが、ややこしいので一貫してEGGTOPとする)

そして2004年の夏、私がGibsonのLes Paulというギターを買い、嬉しくて深ちゃんにメールをしたところ「おーそうか、てかお前EGGTOPに入らないか?」そういわれて即決でEGGTOPの一員になった。

私の加入とほぼ同時期にEGGTOPは、YAMAHAが主催するTEENS’ MUSIC FESTIVAL 2004というコンテストに申し込んだ。各楽器店で行われる地区予選を一位で通過、地区予選通過者が集まるセミファイナルでも勝ち抜け、関東甲信越大会ファイナルまでコマを進めた。関東甲信越ファイナルでは、いまは無きZepp Tokyo で中村 中NICO Touches the Walllsと一緒に演奏をすることもでき、非常に楽しかったことを覚えている。そして2005年にも同コンテストに出場し、この時も全国大会までは行けなかったが、ZeppTokyoの関東甲信越大会ファイナルで奨励賞を受賞することができ、今でも忘れられない思い出である。このときにはSUPER BEAVERと共演をすることができた。

2004年ZeppTokyoにて
2005年ZeppTokyoにて

それから大学受験を経て、またEGGTOPの活動は加速する。自主制作CD を作り、それを引っさげライブ!ライブ!ライブ!という感じで月に3~4回はライブをしていた。そしてあるとき、とあるレーベルの社長の目に留まり、お世話になることになった。

その後は新宿ACBというライブハウスを拠点に、これまたライブ!ライブ!ライブ!という活動だった。自分らでも力をつけてきた感触があり、社長から2009年4月にCD出すぞと言われ、さらにヒートアップしていった。

◇安東暁史の脱退◇


2009年というと、私が大学を卒業して社会人になる年であり、どうしようか迷っていた。大学生になるころ、「大学なんて行かないで早くビジネスがしたい」と考えており、早く仕事の世界に身を置きたかった。そのときは流されるままに大学に進学したが、今度は”バンドを続けるか、就職するか”という選択である。これにはとても迷った。GLAYにあこがれてギターを始め、そのステージを進めるかもしれないという希望があった。でも就職もしたい。

結果的に何度も迷った末、バンドを脱退して社会人になることを決めたのは2008年の6月だった。

私の決断を何も言わずに受け入れてくれて、「お互い音楽の世界で、ビジネスの世界でトップを目指そう!」と誓ったあの日のことを、私は一生忘れはしない。

◇その後◇


その後のEGGTOPのライブにも出来る限りわたしは足を運んでいる。一時期3ピースになったこともあり、曲調を変えたりしながら、私からみたら非常に大きな進化を遂げながらここまできているなあと思っている。

私の主観全開で褒めると、ギターの深ちゃんは天才である。ギターが彼ほど体の一部と化している人はそういないだろうし、メロディーセンスコード感人を惹きつけるカリスマ性は持って生まれたものかもしれないが、本当に凄いものである。私なんかは全然凡人であり、いつも彼にダメだしばかりされていたことを覚えている。あれは非常に良い経験だったが、センスの差を感じずにはいられなかった。

その後のメンバーの入れ替わりでしばらく活動を休止していたが、2013年に彼らは戻ってきた。
新譜を聴いたらグっと来る!本当にすばらしい曲をまた作ったもんだ!

他にもYoutubeでも沢山の曲を聴くことができるので、ぜひ興味を持っていただけた方には聴いていただきたい。

この安東暁史、GLAYより好きなバンドはいないですが、EGGTOPはそのGLAYと肩を並べると思っているほどだと思っています。

ぜひEGGTOPに興味を持っていただけた方には、ライブにも足を運んでみていただきたい。

よろしくおねがいします。

スポンサーリンク

ぜひTwitterやFacebookで、多くのGLAYファンにシェアしていただければと思います。

記事の更新情報を受け取るために、次のボタンを押してフォローをしよう!

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。