GLAY研究家が贈るWinter,again徹底解説 〜時代を超えて愛される冬のアンセムの全て〜

GLAYの曲を味わう

2月3日。日本の音楽史に燦然と輝く名曲、GLAYの「Winter,again」がこの世に生を受けてから、実に27年の歳月が流れました。GLAY研究家として、この記念すべき日に、改めてこの楽曲の持つ奥深い魅力と、その背景にある物語を徹底的に解説するブログをお届けしたいと思います。GLAYファンの方はもちろん、そうでない方にも、この曲がなぜこれほどまでに多くの人々の心を掴んで離さないのか、その理由を感じていただければ幸いです。

1999年、CDが最も輝いた時代とGLAYの絶対的君臨

「Winter,again」がリリースされた1999年という年を語る上で、まず触れなければならないのは、当時の音楽シーンの熱狂です。CDが最も売れた時代、いわゆる「CDバブル」の最盛期であり、ミリオンセラーが次々と生まれる活気に満ち溢れた時代でした。その中でも、GLAYはまさに時代の寵児として、音楽シーンの頂点に君臨していました。

1999年のオリコン年間シングルランキングを見てみると、その凄まじさが一目瞭然です。

順位CDタイトルアーティスト年間売上(万枚)
1だんご3兄弟速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団291.8
2Winter, againGLAY163.8
3A浜崎あゆみ162.2
4ウラBTTB坂本龍一151.9
5Automatic / time will tell宇多田ヒカル129.0

社会現象となった「だんご3兄弟」に次ぐ年間2位という記録もさることながら、特筆すべきはGLAYの楽曲がこの年のトップ15に4曲もランクインしていることです。8位「BE WITH YOU」(発売は1998年)、14位「ここではない、どこかへ」、15位「サバイバル」。これは、彼らの人気がいかに圧倒的であったかを物語っています。

そして、この年の夏、GLAYは日本の音楽史に永遠に刻まれる伝説を打ち立てます。1999年7月31日、千葉・幕張メッセの特設駐車場に20万人もの観客を集めた「GLAY EXPO ’99 SURVIVAL」です。これは単独アーティストによる有料ライブとしては、今なお破られていない最多動員記録であり、まさにGLAYが国民的バンドへと登り詰めた瞬間でした。この日以降、7月31日はファンにとって「GLAYの日」として特別な意味を持つようになります。

「Winter,again」は、そんな熱狂の渦中にあったGLAYが放った、まさに時代を象徴する一曲だったのです。

数字が語る「Winter,again」の金字塔

「Winter,again」が打ち立てた記録は、その人気の高さを雄弁に物語っています。

•累計売上枚数: 164.3万枚(オリコン調べ)。これはGLAYのシングルの中で最大のセールス記録です。
•初動売上: 当時、Mr.Childrenの「名もなき詩」に次ぐ歴代2位という驚異的な数字を記録しました。
•チャートアクション: オリコン週間シングルチャートで2週連続1位を獲得し、1999年2月度の月間チャートでも1位に輝きました。
•年間チャート: 前述の通り、1999年度の年間シングルチャートで2位を記録。
•受賞歴: 第41回日本レコード大賞で大賞を受賞。さらに、第32回日本有線大賞も受賞し、史上5組目となるダブル受賞の快挙を成し遂げました。

これらの輝かしい記録は、「Winter,again」が単なるヒット曲ではなく、社会現象とも言えるほどのインパクトを持った楽曲であったことの証左と言えるでしょう。

TAKUROが紡ぐ、故郷への想いとパーソナルな物語

この楽曲の魅力は、その圧倒的なセールス記録だけではありません。作詞・作曲を手がけたTAKUROによって紡がれた、深く、そしてパーソナルな物語が、多くの人々の心を揺さぶるのです。

TAKUROは、この曲を制作していた当時、大切に想う女性がいたと語っています。しかし、その女性は寒さに弱く、TAKUROの故郷である冬の北海道に連れて行くことが叶いませんでした。「いつか一緒に、この美しい故郷の景色を見せたい」。そんな叶うはずのない切ない願いが、この歌詞の根底には流れています。

「歴史の深い手に導かれ…」

この印象的なフレーズは、TAKUROが幼い頃、おばあちゃんに手を引かれて雪道を歩いた原風景から生まれたものだと言います。厳しい冬の寒さの中にある、人の温もり。故郷へのノスタルジーと、大切な人への愛情が、美しい言葉で描き出されています。

また、TAKUROの作詞の特徴として、日常ではあまり使われない難解な言葉選びが挙げられますが、「Winter,again」でもその才はいかんなく発揮されています。しかし、それは決して衒学的なものではなく、楽曲の世界観をより深く、詩的に表現するための効果的な手法となっています。

映像とライブが織りなす「Winter,again」の世界観

「Winter,again」を語る上で欠かせないのが、そのミュージックビデオ(PV)です。実は、このPVには2つのバージョンが存在します。

最初に制作されたのは、真冬の北海道・美瑛町の美しい雪原で撮影されたものでした。しかし、その内容は、なぜかTERUの顔のアップばかりが延々と続くという、非常に偏ったものでした。メンバーは完成したPVを見るまでその構成を全く知らされておらず、これには他のメンバーから不満が噴出。「ボーカルを代えよう」と本気の喧嘩にまで発展したというエピソードは、後にテレビ番組『速報!歌の大辞テン』で語られ、ファンの間では有名な話となっています。(ちなみに、この初期PVも、現在GLAYの公式YouTubeチャンネルで観ることができます)

ライブにおける「Winter,again」もまた、特別な存在です。GLAYのライブでは欠かせない定番曲であり、イントロが流れた瞬間に会場全体が一体となる光景は、まさに圧巻の一言。時代と共にアレンジを変えながら、常に進化し続けているのもこの曲の魅力です。

特に印象的だったのは、2021年に公開された「THE FIRST TAKE」でのパフォーマンスでしょう。アレンジャーにTomi Yoを迎え、HISASHIがリードギターを担当するという特別な編成で披露された「Winter,again」は、22年の時を経て新たな命が吹き込まれたかのような、瑞々しさと深みに満ちていました。TERUも「新たな才能トオミ君のアレンジで、22年かけてまた新たな命を得た」と語っており、この曲が持つ無限の可能性を感じさせてくれました。

解散の危機を乗り越えて

輝かしい成功の裏で、GLAYが大きな困難に直面していたことも記しておかなければなりません。日本レコード大賞受賞という栄誉は、皮肉にもバンドに解散の危機をもたらしました。頂点を極めたが故のプレッシャー、メンバー間の意見の対立。その詳細は多くは語られていませんが、この時期がバンドにとって最も困難な時期であったことは、メンバー自身の口からも語られています。

しかし、彼らはその危機を乗り越えました。そして、その経験があったからこそ、GLAYの絆はより強固なものとなり、30年という長きにわたって日本の音楽シーンの第一線を走り続けることができたのでしょう。「Winter,again」は、GLAYの栄光と苦悩、その両方を象徴する楽曲でもあるのです。

おわりに

本日、発売27周年を迎えた「Winter,again」。この曲は、単なる1990年代のヒット曲という枠には収まりきらない、特別な力を持っています。それは、CDが最も輝いていた時代の空気、頂点を極めたバンドの熱気、そしてTAKUROという一人のソングライターのパーソナルな想いが、奇跡的なバランスで結晶化した、日本のポップミュージック史における金字塔です。

厳しい冬の景色の中に、人の温もりや故郷への愛、そして未来への希望を描いたこの歌は、これからも時代を超え、世代を超えて、多くの人々の心に寄り添い、冬が来るたびに私たちの心を温めてくれることでしょう。

GLAY研究家として、そして一人の音楽ファンとして、この偉大な楽曲が生まれたことに、心からの感謝と敬意を表します。

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