釈由美子がキスシーン(そして官能シーン)を演じたことで話題になっている新曲『DIAMOND SKIN』のPVが昨日(11/06)公開されました。世界で一番GLAYのファンであり、わたし、実はEGGTOPというバンドのギタリストでした。でも紹介しましたとおり元ギタリストである私が抱いた感想、オススメの聴きドコロを紹介します。
曲調や全体について
まず、始めに謝ります。かつてもういっそのこと、GLAYはBメロを作るな!!という記事を書きましたが、このDIAMOND SKINは
Aメロ⇒Bメロ⇒サビ
の盛り上がりがとてもステキな仕上がりを見せています。
さて、この曲はGLAYの王道ともいうべき8ビートに気持ちよく乗ったミドルロックチューン、だけど何か違う。。。それがこの曲を初めて聴いたときの感想でした。そう、「バラードっぽい歌詞の歌なのに、なんて軽快な8ビートなんだ」というのが意外なところです。GLAYの8ビートといえばグロリアス、誘惑、SOUL LOVE、サバイバルなどに代表される
ズンタンズズタンの、GLAYの代名詞とも言える王道リズムです。
このリズムをこの歌で採用している点が、まず驚きです。他に類をみないほど、8ビートとメロウな歌詞がマッチしている点がプロデューサー佐久間正英マジックと言えるでしょう。
また、「俺たちはロックバンドだ」と主張しているように、ピアノ主体の伴奏ではありません。これまではこういった曲ではピアノを入れるのが常でしたが、この曲ではCメロとアウトロで効果的に使われている以外はピアノを利用していません。この点もこれまでのバラードと一線を画すところです。
全体として、歌詞が女性目線で書かれていますね。しかもアブナイ恋というストーリーで、一昔前までのGLAYが書かなかった曲です。
2013年初頭に発売されたアルバム、JUSTICEとGUILTYになって急に「遊びなら割り切れたのに」とか「恋に不埒な二人をどう裁くのでしょうか?」とか「重ねる口唇に 誓える明日がないとしても」とか、なんか危険な恋の曲が現れ始めたんです。急にですよ、それまでほとんどそんなのなかったのに。これについてはTAKUROがアルバムGUILTYの特典DVDで次のように述べています。(インタビューを編集して引用してます)
世の中には罪だと分かっていながら溺れる人。悪いことだと分かっていながら、どうしようもない衝動で動いちゃう人っていうのは確かにいて、なぜか(歌にするのを)避けてきたんだよね。何でだろう?そういった歌をようやく書く気になったというか、書けるようになったというか。
それまでは歌イコール自分で、ある種のフィクションっていうは、自分の中では位としてはちょっと下だった。
だけど、歌の表現としてはこんな自由な世界ないのにね。それで、色んな想像を広げて書いてみたら結構やっぱり面白いのと、あとやっぱりそういった題材ってロックンロールにあうね。
そういった可能性みたいなものをどこかで閉じてたなという反省もあった。
今回のDIAMOND SKINはまさにこの反省が活かされたというか、溺れてはいけない恋に呑みこまれてしまう女性を描いた作品であるといえるでしょう。
イントロ
アコースティックギターのとてもさわやかなジャッジャッというカッティング奏法が印象的な前半部、いきなり左チャンネルからHISASHIのノビの良いギターが始まり、その裏でさっきまでのキレの良いカッティングを右チャンネルのTAKUROが受け継いでいる印象。前半と後半の間の切り替えが「いきなり流れ星が落ちたような」キラキラしたシンセサイザーが入るところにグッときます。
1番 Aメロ-Bメロ
Aメロではいきなり楽器隊が落ち着くため、TERUの声が映えます。おそらくマイクはGUILTYのレコーディングで使われたマンレイを使っていると思われますが、AメロなどでかなりTERUの息使いや、力強さがしっかり収められています。「あなたは とてもうつくしい」のタ行の声の力強さは、2012年以前の音源では感じづらかったものです。
BメロのHISASHIのギターは手グセというか、王道パターンですね。「それぞれの今を壊せない」の直後のフレーズは、あまりGLAYにはない32分音符くらいの細かいフレーズです。(手クセなので実際の奏法的にはそこまで難しくないですが、楽譜に起こすとやたら難しそうに見える類のフレーズですね)
面白いのは、ドラムのズンタンズズタンを1小節にした場合に、Aメロは8小節、Bメロが 8+4小節になってて、Aメロより長いんですね。これも一般のJ-POPではあまりみない構成です。(最後の1小節はサビへの導入的な感じですが)
1番 サビ-間奏
JIROのベースがイイ感じです。「疑うことなど知らなかったあの日」の直後の音が下っていくフレーズ以外は目立ちませんが、ここぞというところで存在感を見せるプレイスタイルはJIROらしいといえるでしょう。右チャンネルのTAKUROのジャッというキレの良いカッティングも効果的でステキです。
クリーントーンの聴こえるか聴こえないかの絶妙なギターソロはTAKUROによるものでしょう。そしてその裏で鳴るHISASHI(左)のギターのなんと味のあること。このリズムに乗った演奏は先述のとおり、GLAYならではです。
2番 Aメロ-Bメロ
2番はHISASHIが特に光っています。左から聴こえてくる階段を降りるようなフレーズに注目してください。「あなたはとっくに感じてる」の「(とっく)に」のあたり(ここだけ聴こえづらい)、「あなたはそれでも抱き寄せる」の「(それで)も」のあたりだけ16分音符で軽やかな感じになっています。
BメロのHISASHIのフレーズはAメロを受け継いで、可愛らしい宝石のような音を置くフレーズのまま進みますが、「拒めないと分かって」ではいきなりジャラーンと弾き方を変えて、曲調の変化を強調しています。そしてPVではTERUの度アップになって、急にサビに引き込まれる印象を受けます。
2番 サビ
歌も楽器もほとんど1番のサビと変わらないのですが、一点、大きく違うものがあります。それは後半に進むときのHISASHIのフレーズです。
1番「あなたはそれに気づいていた」
2番「終わらない歌が聴こえた」
それぞれの直後に左チャンネルから聴こえるHISASHIのフレーズ、楽譜にすると同じになるのです(つまり音程は同じです)が、2番のほうがなんだか音が高い感じがしませんか?これはピッキングハーモニクスという、HISASHIを象徴する奏法なのですが、同じ音程でも倍音を多く含むため、高い音のように聴こえるのです。HISASHIが出すピッキングハーモニクスはとても心地よく、そして時には獰猛な猛獣が雄たけびをあげているかのような野性を感じさせる効果があります。
ピッキングハーモニクスとは何かを紹介する動画を作ってみました。
こちらを見ていただければ、少しイメージがわきやすいかもしれません。
この曲ではほかにピッキングハーモニクスを用いているフレーズはなさそうですが、さりげなくHISASHIらしさをアピールしているといえるでしょう。
Cメロ
GLAYの場合、Cメロはギターソロの後やサビの後に持ってくることが多いですが、2番のサビの後でそしてソロの前というケースは珍しいです。他の例では『春を愛する人』がそうですね。Cメロは突然現れたピアノの音にそれまでの8ビートなロックな感じを一蹴されて始まります。そしてTERUの声がより強調されています。PVの強烈な映像とともに曲中である意味もっとも盛り上がるシーンであるといえるでしょう。
聴こえてくる歌詞は次の通りですが、これまで女性目線だった歌詞が、ここだけ男性目線な、いつものGLAYの歌詞であるようにも思えます。TAKUROさん、真相や如何に。
初めての夜に塗れた前髪を
きれいな指でなぞれば
それはとても愛に似ていた
※(追記)
再度考えてみたのですが、これも女性目線かなと思い始めました。濡れた前髪は相手の髪だと思っていましたが、女性の自分の濡れた前髪、そしてそれは、それまで上に乗っていた男から垂れた汗だと捉えられます。
それにしてもTAKUROには「愛」が見えているかのような表現ですね。愛なんて形のないモノなはずなのに、それに似ていたという表現は「愛というものをはっきり知って」いないと出てこない表現だと思います。比較的抽象的な表現をされる「愛」という単語ですが、GLAYは「3度目の季節はうたかたの恋を愛だと呼んだ」のように、はっきりと一つの名詞として扱うことが多いのも、また特徴的です。
ギターソロ
非常に不思議なギターソロです。前半と後半に分かれているものの、盛り上がり方やテイストはほとんど同じです。初めて聞いたときはなんだか「盛り上がりに欠けるな、ここでもっと盛り上がってほしかった」と思ったものですが、聴きこむうちに解釈が変わりました。それはなんだか、ある一線越えられない壁がある二人の禁断の関係を表しているような、そんなギターソロなのではないかという解釈です。
TERUが盛り上がりそうなところで「くちづけの後で」とカットインしてくるのも、禁断の恋が遮られた印象を与えます。
ラスサビ
1コーラス後の「こんなに求めても、求めても、求めても、まだ足りず、求めあうけれど」はこれまた、これまでのGLAYにないフレーズですね。そして最後の求めあうけれどの部分の釈由実子の表情、まさにこの曲にピッタリな演技です。
もう会えないかもしれないけど、この一瞬を精一杯味わいたい、そんな切なさが伝わってきます。
アウトロ
アウトロは急に切なくなりますね。永遠(そういえばEternallyは永遠にという意味ですね)には続かない恋の儚さをあらわすかのように、急に切ないメロディーにかわります。リズムはずしを多用したTAKURO(右チャンネル)独特の儚いフレーズと、左チャンネルのピアノによるフレーズに、釈由実子のすすり泣き。こんなミュージックビデオは初めてですよ。音源では釈由実子のすすり泣きは入っているのでしょうか。
総括
この歌を歌うのはHOWEVERを歌ったころのGLAYでは無理だと思います。より人生を経験してきて、音楽性を高めてきた今のGLAYだからこそ奏でられた歌だと思います。上に書いたのは個人的な感想でありますし、人それぞれ感じ方は違うでしょう。ひとつだけ言いたいことは「一日100回聴いても飽くことない名曲」であることは間違いないので、何度も何度も、味わっていきたい曲だということです。
みなさんの感想もTwitterやコメントで教えていただければと思います。
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