「GLAY好きに悪い人はいない」の光と影 JUSTICE & GUILTY

GLAYの曲を味わう

「〇〇好きに悪い人はいない」

この言葉は一見すると人情味あふれるおまじないのように聞こえる。だが、昨夜のGLAYファンのコピーバンド界隈のスペースで、このフレーズが思わぬ形で裏返るのではないか、という議論が盛り上がった。最後まで読むと、その裏返りの意味が見えてくるかもしれない。

「〇〇好きに悪い人はいない」。この構文には、そもそも何の根拠も因果も相関もない。ただの身内びいき的な「いい人幻想」である。たとえば「チョコ好きに悪い人はいない」と言われても、血糖値の急上昇に弱い人を前にすれば説得力は霧散する。

もっとも、ある対象に結びつくと妙な説得力を持つ場合もある。典型は「犬好きに悪い人はいない」だ。犬を愛する姿は、無防備な存在に注ぐ愛情や忍耐強さを想起させ、人間への優しさにもつながると信じたくなる。論理としては飛躍だが、文化的に共感を得やすい。

その一方で、「女好きに悪いやつはいない」となると意味が破綻する。むしろ「問題の種」を連想させ、説得力どころか逆効果だ。

さて、本題の「GLAY好きに悪い人はいない」である。GLAYは、仲間を裏切らず、約束を守り、争いを避け、平和を願い続けてきたバンドだ。その姿勢を愛するファンに「信頼を重んじる人が多い」と考えるのは、あながち的外れではない。実際、「GLAY好きはいい人だよね」と言われれば、妙な納得感が漂う。

だが、ここで昨夜のスペースでの話が効いてくる。「GLAY好きが“いい人”であろうとするあまり、コピーバンド界隈でお互いの駄目なところを指摘できていないのではないか?」という指摘だ。本当に相手を思うなら、「ここは駄目だ」と言うべき場面もある。にもかかわらず、空気を壊すことを恐れ、「駄目」と言えない文化があるかもしれない。真実かどうかはわからない。だが、「GLAY好きに悪い人はいない」という言葉が心地よい幻想であると同時に、「いい人すぎて大事なことを言えない」という裏面を含んでいるとすれば、それは一定の説得力をもって響いてくる。

結局のところ、この構文は「人は好きなものに自分を重ねる」という人間の習性を映し出す鏡なのだろう。そこに写るのは、美しい理想であり、同時に見過ごしてはならない影でもあるのだ。

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