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GLAYと大阪城ホール|歩みと珍MCの歴史

今日11月7日、GLAYのアリーナツアー『EXOFIRE』が大阪城ホールで始まる。

GLAYが大阪城ホールで演奏するのは、今日で54回目。明日で55回目。最初は1997年8月2日なので、かれこれ29年通っていることになります。

せっかくなので、大阪城ホールと GLAY のこれまでの歴史を見ていきましょう!Let's Go!

大阪での動員数増加の歴史

大阪でのGLAYの最初のライブは、デビューから約半年後、1994年11月の難波W'OHOL。キャパ約300人のライブハウスです。

1年4か月後の1996年3月にサンケイホール(約1,500人)、9月に大阪厚生年金会館(約2,400人)。HOWEVERリリース直前の1997年8月に大阪城ホール(約1万人)、そして1999年2月には大阪ドーム(約45,000人)で4日間。

4年3か月で、会場の大きさは150倍。

GLAY 大阪公演 会場規模の推移 1994〜1999

初の大阪城ホールは、初のアリーナツアー

「口唇」でシングル初のオリコン1位を取った1997年の夏、『GLAY ARENA TOUR '97 ~HIT THE WORLD~』。GLAY初のアリーナツアーで、大阪城ホールは8月2日・3日でした。

その続きの『~HIT THE WORLD September~』でも9月24日・25日に公演を行い、25日がそのツアーの最終日。初めての年に、もう4回。

ここまでは序の口です。

2000年の『HEAVY GAUGE』は、1つのツアーで大阪城ホール10回。

6月に4回、10月に4回、11月に2回。もはや大阪城ホールに住んでいるといっても過言ではない。

大阪城ホールから始まる

アリーナ公演の初日を大阪城ホールで迎えたツアーは、今日のEXOFIREで7本目です。

年 ツアー
2008 HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2007-2008(追加のアリーナ公演)
2010 ROCK AROUND THE WORLD(アリーナツアー)
2013 JUSTICE & GUILTY
2021 FREEDOM ONLY
2022 We♡Happy Swing Vol.3
2024 Back To The Pops
2026 EXOFIRE

初日の大阪は、最初怖かった。

2010年11月10日。TERUは開演するなり「緊張する~!助けてくれ~!大阪~!!」。アンコール前には「大阪は反応が正直じゃない?だから怖かったんだけど」「俺、上がり症なんだわ」。

それが3年後

初日をこんなに緊張せずに迎えたの、初めてです、へへへ

初日が大阪だと自信を貰えます

この日は、前の年の長居スタジアムと比べて「生意気なんですが、狭い感じがします」とまで言っている。リハでそれを言ったら、TAKUROに「君ね、どれだけ幸せな事かわかってないのね」と返された。

2021年11月5日は、コロナで止まってから1年9か月ぶりのツアー。歓声は出せず、客席は拍手とジャンプで応えた。

TERUは「やっと会えたね」。

そしてJIROは「2021年11月5日…!」と叫んだ直後にベースを盛大に間違えて、演奏が止まる。TAKURO「じろちゃん!!!」。JIRO「…良い感じに壊れてきたな…」。

1年9か月ぶりですからね。分かる。

2024年11月8日、アンコールの「HOWEVER」の前にTERUが「最近テレビで歌って…声が出てないって言われて……本当は上手いんだよ…」。JIROが「そんなことないよ!」とフォローし、HISASHIは「エゴサするな」。歌い終えたTERUは「どうだ!」。

通算1000回目も、大阪城ホール

2022年7月13日。メジャーデビュー後の通算1000回目のライブは、大阪城ホールでした。ファンクラブ「HAPPY SWING」25周年のツアーで、集まったのは約9,000人。新曲「クロムノワール」「GALAXY」もここで初披露。

TERUいわく「1994年7月31日のライブから今日のライブまで数えて1000回目」。

で、ここでJIROです。TOSHIが「サポートに入って980回目(だったかな?)」と話したのを聞いて、

もしかして俺999回なんじゃね?

数年前の金沢公演を、体調不良で休んでいたから。正確すぎる。

終演時のTAKUROは「次は1001回目かあ!!!!」。切り替えが早い。

大阪城ホールのTERU、HISASHI、TAKURO、JIRO、TOSHI

大阪城ホールのMCをファンのブログで読みあさると、だいたい誰かが何かを間違えている。

TERUは、だいたい何かを言い間違える。

2003年3月11日、雪がちらつく大阪で「今日は天気がいいですが…」。客席からブーイングを受けて「いや、東京は晴れてた」。当日入りだったようです。

2009年11月26日には、立ち位置を間違えて「危うく明日の一面に載る所でした。関西新聞の一面に」。同じ日、台湾から来たファンにお礼を言おうとして「シェイシェイは中国だよね?カムサハムニダ!・・・あ、カムサハムニダはタイか」。

いろいろ違います。

2007年2月24日には、突然「みんなでバギークラッシュナイト!ってジングルを録ろうか!」と言い出した。JIROが「いやいやいや、急にそんなこと言われても録音機材無いから!」「TERUはいっつもその場で勝手に決めるんだから」と止める。TERUはステージ前のマイクを見つけて「お!ここにいいのがあるじゃないですか」。PAスタッフからはNG。

ちなみにこの翌日、タオルを掲げる客席を見たTERUの感想は「何か漁業組合みたいだね」。

HISASHIは、だいたい変なことをする。

2017年9月30日の自己紹介は「アメ村生まれアメ村育ち、見た目はコンパクトですが、志はあべのハルカスより高い。最近リーダーからはチャーハンと呼ばれます」。

TERUは「はい、ありがとうございました」と流し、HISASHIは「え、これでいいの?」www。

2019年11月16日には、「メンバーのMCは要るか」をTwitterでアンケートした結果(約45,000票)をスクリーンに映して、出した結論が「時々喋って、黙ります」。

翌17日、本当に一言も喋らずに曲に入りました。客席から「え~~~!HISASHI~~~!」。有言実行。

2015年2月1日は誕生日の前日で、ステージ上で「第2回 TAKURO杯 格付けチェック」が始まる。HISASHI「え!ここでやんの!!!!!」。ワイン、松阪牛、そして最後の問題は、マイケル・ジャクソンの「ポウッ」とHISASHIの「ポウッ」の聞き分け。大阪城ホールで。

TAKUROは、だいたい余計なことをする。

2004年10月7日、TERUのダンス講座の最中にスタンドへウィンクして歓声を起こし、TERUに「気が散るので止めてもらえますか!」と叱られる。続けてJIROが手を振ると、TERUは「JIROちゃんならいいでしょう!」。差別です。

2007年の大阪では、ギターの裏に貼ったステッカーを間奏で見せていて、24日は「なんでやねん」。

TOSHIは、マジックをする。

2015年1月31日のアンコール。TERUが選んだトランプが、JIROが選んだアリーナ18列目あたりの客の椅子の下から出てきた。成功したのに、TERUは「TOSHI、きょうは反省会だ!!マジックはよかったけど、進め方の反省会だ!」。

JIROは、だいたい怒っている。

2021年11月6日、誕生日が近いJIROに、他の3人がプレゼントを贈った。ヅラをかぶって、JIROのバンドTHE PREDATORSの曲を3人で演奏した映像。その名も「グレデターズ」。

JIROの感想は「あの映像のTERUの顔がムカつくんだよ!」。TERUは「あれ出たら生きていけない…」。TAKUROは「20年後…グレデターズAnthologyで!」。

そして今日

もうキャリアの長い彼らが間違えることなどないと思いますが、チョックしておきますね。

出典

メンバーの発言は、ファンのブログの書き手の聞き取りです。